別れるとは

卒業に際しての旅立ちや、娘の嫁ぐ日の別れは、本当は喜んでも悲しむべき事ではありません。
油断大敵ではありますが、大人になったらいろんな別れるを知るんですもの、娘に対して、せめて今はその程度でいて欲しいと願うのは親ばかなのでしょうか。
どうにかこうにか苦し紛れに答えたのですが、娘は空かさず切り返して来たではありませんか。
まあもっとも、近頃の子供はとんでもなく耳年増だったりなんかもしますからね。
まあよくよく話を聞いてみると、幼稚園では毎日先生やお友達に「さようなら!」を言っているから、毎日沢山お別れしているという意味だったんですけどね。
特に卒業シーズンでもある春先は、別れる事に涙を流す人も多い事でしょうね。
されど、自分だって、きっと娘と同じ年頃には、同じような発想をしたはずです。
別れるっていうのはね、「さようなら!」って言ってお別れする事だよ。
だったらマイちゃん、毎日いっぱい別れるしてるよって言われたら、親なら誰だって一瞬目が点になりますよねぇ。
でも、別れはありとあらゆる場面に入り込める一コマであって、人生最後の別れの時まで、人は数え切れないほどのさよならを言います。
て、こんなの当たり前、別れるの定義を語ろうとする事自体に無理があるのかも知れないですね。
娘の言う通り、毎日毎日どこかで誰かと別れる子tow繰り返している人は、決して少なくはないでしょう。
しかも、面白い事に、次の日またその人と会って、また別れるを繰り返すんです。
別れるの定義がもし本当に存在するとしたら、それは神様しかはじき出せない方程式なんでしょうね、きっと。
そういう風に考えると、毎日の出会いと別れの中に愛や悲しみが沢山入り交じっているんですね。

別れると一口に言っても、様々な内容と、それに応じたスタイルというのがあります。
よくぞ飽きないなぁっと思う位、日々会うと別れるを繰り返し、いつか別れたくない、ずっと一緒にいたいと思った時、そこに一つの感情が表れるのではないでしょうか。別れるってなあに、先日、テレビを見ていたら、3歳の娘にいきなりこんな質問を突き付けられました。
でも、なるほど、それも言われて見れば、確かに別れるというやつだなぁっと感心させられてしまった駄目なママゴンなのであります。
自らの体験をもとに熱く語っている人も多くて、お陰様で、わりと楽しくいろいろな別れ話を読ませていただきました。

別れるってなあに、なんて可愛い事を言っている娘とも、いつか別れる日がやって来ます。
その時もしかしたら、この別れるとは何かという質問の本当の答えが娘にも私にも判るのかも知れませんね。
出来る事なら、互いに心から喜び合えるような幸せな別れがしたいものです。
今度の娘のこの質問、あまりにもユニークだったけど、中々の難問、そこで、別れるとはなんなのかをインターネットで調べてみる事にしました。
すると、やはり男女関係に関する観点からとらえているブログやサイトが多いようですね。
3歳の頃は普通、別れると聞いて、失恋だの離婚だのなんて、100パーセント思い浮かばないでしょう。
しかも、またすぐに会えると解っていても、何故か必要以上に別れるという言葉を噛みしめてしまうものなんですよねぇ。
やっぱり大人になると別れるという言葉は悲劇の主人公になってしまうのでしょうか。

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